「昭和45年11月25日」

幻冬舎新書の「昭和45年11月25日」を読んだ。

 この日は三島由紀夫が市ヶ谷で切腹した日。当時の我が家はまだ赤旗をとっていた叔父がいたはずだし、思想的にはその叔父の影響でなんとなくヒダリだったはずだ。
 叔父の本棚には、マルクス以外にも三木清全集、田中正造全集や、水俣病の写真集やナチスアウシュビッツの写真、広島・長崎の原爆の写真集などがあった。写真集は怖いもの見たさに見たが、全集関係には興味がなかった。まあそういう家族の中では三島由紀夫楯の会埒外の存在だった。
 ただ「O嬢の物語」や「ジュスティーヌ」も家の中にあったから(家畜人ヤプーはなかった)、そっちの面から三島由紀夫への興味があったかもしれないが。(~o~)
 それ以外では、市川雷蔵の映画つながりで三島由紀夫を知っていたような記憶がある(潮騒は殆ど興味なし)。
 東京以外では大騒ぎもないわけで、10歳にもならなかった自分には関係のない事件だった。
 でもこの新書を読むと、恐ろしく広範な人に影響を与えた事件だったことがわかる。
 しかも今の日本の状況(情けない民主党で、アメリカのポチのような国土交通&外務大臣が変な動きをして、それが元で内弁慶の監房長官が中国に恫喝され、一方で日銀は経済を疲弊させ、法治国家とは思えないような検察の動きと、自由な国家とは思えないマスコミの情報操作に国益が損なわれている。)を見ると、三島由紀夫のように「憂国」といいたくなるが、現実はもっとドロドロしていて、そのピュアな理屈は理解できても、それではちっとも前に進まないのもなんとなくわかる。現実に政治家に求められているのは、この国の国益を正しく認識したうえで表面は誤解をうけても、より戦略的に動くことが要求されているのだと思う。
 おそらく正しいことを実現するために政治家であることはとてつもなく大変なことだ。 政治家の皆さん子供たちのためによろしくお願いします。
 とあまり柄にもないことを、三島由紀夫は考えさせてくれるのだから、すごい触媒のような人だったのだろう。